旧満州国(現・中国)の生まれ。軍人だった父に伴い、満州の安東中学校を卒業後、18歳で終戦を迎え帰国する。**大学経済学部を中退後の1952年、劇団民藝に参加。久保栄・作『五稜郭血書』52で初舞台を踏み、滝沢修に師事する。54年に製作再開した日活が、俳優不足のため民藝と提携契約を結び、舞台活動と並行して日活のプログラムピクチュア数本に出演。最初の映画は58年の若杉光夫監督「姿なき顔役」の刑事役で、翌59年の中平康監督「その壁を砕け」では裁判劇の検事役を演じる。舞台で頭角を現すのは60年代からで、魔女裁判**を題材にしたアーサー・ミラー作『るつぼ』62に主演。**心の強い農民ジョン・プロクターを演じ、芸術祭奨励賞を受賞する。民藝時代の主要作品はほかに、『火山灰地』61、『冬の時代』64、『想い出のチェーホフ』68など。64年、日活の熊井啓第1回監督作品「帝銀**・**囚」に出演。民藝でも同じ題材を上演予定だったが戯曲が完成せずに中止、キャストの多くがそのまま映画に移ったもので、内**敏とともに**の真相を追う新聞記者を好演する。続く熊井監督「日本列島」65も宇野重吉ら民藝の俳優陣が揃った作品で、戦後の不可解な**を捜査する黒崎警部補役を演じた。押し出しのある風貌と演技が当初から社会的責任のある役にはまってきたが、熊井作品2本でそのイメージが定着。**薩夫監督「にっぽん泥棒物語」65、「白い巨塔」66などに続けて出演し、重厚な社会派作品に欠かすことのできない俳優となる。**監督「座頭市牢破り」67のような時代劇でも民藝で培ったリアリズム演技を活かし、合理的な農村指導者を堂々と演じる。差別問題に踏み込んだ熊井監督「地の群れ」70では、未開放部落と関わり合いながら無力なアル中の診療所医師を演じ、異色の役とする。71年に民藝の運営をめぐる内部対立が起こり、佐野浅夫、佐々木すみ江、下條正巳ら多くの俳優が退団。鈴木も民藝を去り、72年に演出家・早川昭二と演劇集団銅鑼(現・劇団銅鑼)を結成する。劇団名は戦前の築地小劇場が開演時に鳴らした銅鑼にちなみ、あくまでも新劇の理念を旗印とする。第1回作品はアーサー・ミラー作『二つの月曜日の思い出』。鈴木は82年まで代表をつとめた。その傍ら、70年代は映画で刑事、検事、弁護士などを数多く演じ、テレビドラマでも同様に、日本テレビ『太陽にほえろ!』、TBS『Gメン'75』『水戸黄門』など1話完結シリーズの時代劇、刑事ものに多数ゲスト出演する。深作欣二監督「仁義なき戦い・頂上作戦」74の新聞社デスク役、「同・完結篇」74の刑事役での連続出演は、短い場面で直ちに観客が背景まで汲み取れるタイプキャストの強みの好例。日本映画界全体が大作指向だった時期は、森谷司郎監督「日本沈没」73の科学技術庁長官、舛田利雄監督「ノストラダムスの大予言」74の環境庁長官、**薩夫監督「皇帝のいない八月」78の自衛隊幕僚など、役柄も風格に合わせて大きくする。しかし大作映画の波が引くと要求される演技を絶妙に変化させ、藤田敏八監督「**歳、海へ」79でエリート意識の塊の教授を機械仕掛けのように見せて戯画化。山田洋次監督「遙かなる山の呼び声」80では高倉健の元教師の兄を滋味深く演じる。80年代以降も舞台中心に活動する一方、松山善三監督「典子は、今」81、今井正監督「ひめゆりの塔」82、橋本幸治監督「ゴジラ」84などの映画や、NHK『獅子の時代』80、『武田信玄』88、『八代将軍吉宗』95、『*・徳川三代』00、TBS『スチュワーデス物語』83、『誘惑』90、また各局の2時間サスペンスなどで所を得た助演を見せる。加えて、朗々とした張りのある美声という無二の個性を持ち、**薩夫監督「戦争と人間」70~73をはじめ、ドキュメンタリー番組などのナレーションでも活躍。テレビの洋画劇場では多くのハリウッドスターの声を吹き替える。近年も懐の深い存在感は健在で、篠原哲雄監督「真夏のオリオン」09で海軍潜水艦の乗組員だった戦時の記憶を語る老人役を好演している。舞台は、2006年の『女相続人』『夜の来訪者』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。ワークショップなど後進の指導も積極的に行なう。
若尾文子、内田朝雄
山本陽子、淡路恵子
唐泽寿明 Toshiaki Karasawa、石田百合子
藤田朋子、小柳留美子
大江千里、岛崎和歌子
宫崎美子、辰巳琢郎
黑川芽以、铃木瑞穗
可下载
加藤刚、秋吉久美子
万田久子、柏木 由纪子